2008-05-16
ソルヴェイグの歌
朝の徒歩通勤にはじまり、昨日はよく歩いた。
会社ではとう道の見学で地下に潜って、あんなとこやこんなとこに行って1日がつぶれ(申し訳ないことに守秘義務上その詳細は申し上げられません…/笑)、
帰社後残業して電車飛び乗って家まで走って洗濯機回してお土産もって原付でUターン。
串鳥行って散々笑って歩いて帰った。別れ際の笑顔。みんなわらった。
よかった。
いつもと違う道を歩いて帰る。月も星も明るい。こんなところに学校あったんだ。
歩道を横切るカブの作業服。こんな遅くに帰るのね。
お疲れ様。
お帰りなさい。
いってらっしゃい、いってらっしゃい。
気をつけて。
日を跨いだ夜の空には、宵月と白の千切れ雲。
それらはただ、私に進めと告げる。
留まらずに進めと。
そうね、起こるはずのないことを待つのはもうやめるわ。
私も月のように、ただ満ちて欠ければいい。
満ちて欠けて、
また満ちて。
そうやって何度でも、終わりと再生を繰り返して。
私はここでつぶやくことしかできないけれど。
いつだって、あなたの無事を祈っているんだ。
だからどうか幸せになって。
少しでもいいから
あなたに小さな安らぎがあるように、と。
そしてどうか気付かないで、この私の願いに。
きっと、あなたにいらないものだから。
同じ月は2度と生まれない。
お疲れ様。
お帰りなさい。
いってらっしゃい、
気をつけて。
。
ごめんね。
2008-05-14
2008-05-12
Osaka-9→Kyoto-1


京都に行きたいのよねー。
でもどうやっていったらいいのかしらねー。
何もしない母。
…ああ連れてって差し上げるわよあたしが調べりゃいいんだろう!(所詮添乗員)
初日あれじゃないのかこれでいいのかと私をまるで信じていなかった母だが、どうやら私に言えばどこにでも行けると認識したらしい。もはや地元民扱いである。
京都の本持ってんだろう自分で読みなさい大人…!
とは言わずに連れていきましたけどね!(腹黒)
次第に大阪城でもいいといいはじめるも京都行きを強行。何故か強く京都に行かねばと思う。
しかし飛行機の時間を考えると滞在可能時間は3時間もない。行き先を清水寺周辺に限定し、祇園近辺を散策して帰るルートを考案。大阪から一路電車で京都へ。
そのままバスに乗り清水寺。今頃は緑がきれいだろうとカメラも準備。
バスには地元民の他にたくさんの修学旅行生と外国の方が一名。
外国の方も清水寺へ行くのか、そわそわした様子。声をかけようかと思っていると自分から近くの女の子に降りる駅を聞いていた。大丈夫ね。
バスを降りて清水寺へ向かおうと信号を渡りかけるとさっきの外国人。あら。大丈夫かしら。
すると果敢にも私の母突撃。おおやりおるな。
と思ったら寸でのところで振り返った。行かないのかいっ!
そして声をかけずUターン。戻るのかそこで…!
ああわたしね、私が行けばいいのよね(どうせね!)。
もう、こうなったらままよ。コンノ、行きまーす!(最低英語2の女)
…まあそんな大仰には構えてませんでしたが。
果たして歴史的建造物を私が案内できるのかと考えつつもまあなんとかならあな。ご一緒しましょうとナンパ。
その名をMarilynといった。略してメル。
メルは南アフリカ人で60歳のおばあちゃん。今回息子が韓国人と結婚するので、2人に会いに韓国に行き、昨日日本についたらしい。
グランサンやグランシスタに写真を見せるのだと沢山の写真を撮る。孫が可愛くて仕方ない様子。
友人が世界のいろんなところに住んでいてね、私だけ南アフリカよ(笑)
だから私はポストカードで手紙を書くのよ。それが楽しくてね。私はコレクターなの。
南アフリカには脳に障害(脳腫瘍?)を抱えている息子がいてね…だから私はその看病をしてるのよ。
私は1日6時間も歩いているの。わたしの周りはみんな歳で膝がいたいって言ってるけど、私はちっとも!仕事や看病に歩くから健康なのよ。
息子はね、韓国の彼女の前には日本人の女の子と付き合っていたの。でも10年前にaccidentで死んでしまったわ。
夫は1994年に亡くなったの。14年前も前よ。…? ええ勿論私はaloneだけど病気の息子もいるから看病しなくちゃならないし、孫も可愛いから平気なのよ。
皆はこういうの…日本はビルがいっぱいでコンクリートだらけだって。でも私は違うと思うのよ。日本にあるのはそれだけではないわ。だから私は彼らに日本の川や山や緑を、写真に撮って見せてあげたいの。
私はラッキーだったわ。あなたに会えたもの。言葉が(英語が)通じてよかった。人力車にも乗れて舞妓さんにも会えて、本当に幸せだわ。
不思議と彼女の英語は全部理解できた。
成る程、今日私は彼女のために京都に呼ばれたのか。
清水寺を出て二年坂やら何やらをぐるぐるし、
午後は友人に手紙を書くと言うからまた京都駅までおくり、アドレスを交換してhugしてお別れ。
両親とはとっくにはぐれていたが電話で京都駅に集合をかける。10分後の空港バスに乗るためにひたすら急かし、勘のみで駅を横断。ギリギリ間に合わせ券を買い滑り込み。
結局カメラは一度も使わなかった。
ああにしんそば…おたべ…金平糖…(あああぁぁぁぁ…)。
両親は抜かりなく大量の土産袋。ああさすがだよ全く。
空港到着後土産確保に奔走し買いまくる。
そして気づけば16時。
…えっ終わり?!(気づくの遅)
…展望デッキで写真…(無理だよもう)。
写真はメルと山積みの赤福。
てんこ盛り。
…何だったんだろう…(遠い目)
Osaka-8


一人夜の街を歩く。
と言っても宿泊先の周辺だが。
大阪は名古屋のように地下道が発達していて、特に私の泊まった所では地下を歩いていれば大抵の用は済んでしまったので外をゆったり散策する暇もなかった。
初日に降り続いた雨はすっかり止んでいた。風はまだ少し冷たいが、高ぶった心にはちょうどいい。心地いい熱。
このあたりには一流ホテルや企業ビルが林立していて、例えばヒルトンみたいなのがガンガン建っている所なのだが、見上げればどでかい建物ばかり。
でも一つ一つのスペースが広いから窮屈さはなにも感じない。
ここが一等地で、つまりちょっと高級なものの集合体であるからなのだろうか。しかしせせこましいなかでも不思議と窮屈さが無いのはどこへ行っても共通している。恐らくそれはここに生きている「人」の気質によるところが大きいのだろう。そんな気がした。
頭上すぐの高速なんかちっとも気にならない。
要は生き方なんだなと思う。
散々歩いて、ホテルに戻った途端糸が切れたように眠りについた。
ホテルの12階にあたる私の部屋は梅田の駅を見下ろせる位置にあって、ひたすら列車の走る音が響いている。
そのお陰か、幸いなことに視界が開けた場所だ。
窓の横に座りながら空の明けをみる。大阪には空中庭園という展望台があって、その鏡のようなビルが朝焼けを反射する。
規則的な線路の音。
荒い車。
奥に連なる山々が静かに霞んでいた。
やはりここにいるとエネルギーの湧き方が違う。
人によく言われる大阪がよう似合うという言葉は、恐らく正しい。
けれど私は紛れもなくここではストレンジャーだ。
いずれにせよ帰らなければならない。
さてすっかり夜も明けた。
今日は何をしようか。
2008-05-11
Osaka-7


刻一刻とめまぐるしく姿を変えるこの街が好きだ。
根本は何も変わりはしないのに。
人の熱が全てを動かしている。
燃えては冷めて。
冷めては涼やかに熱を帯びる。
欲と情と熱の街。
それが何より美しいと思う。
スタバの兄ちゃんがでらかっこよかったので行ってみようと思います(ぇ)。
ただどのスタバか全く覚えてません(ダメじゃん…!)
Osaka-6



大阪のにぃちゃんたちに別嬪さんやを連発されて終始ご機嫌。
大阪住みます、私(ぇ)。
写真の人物は魂抜けた兄さん(新郎)。
Osaka-5

ブーケプルズまたもや外しました。
料理がうまし。
24歳


