[参照]ふむ。なかなか興味深い意見だ。何故生きるのか?つまらんことを言えばそれは「本能に因るもの」となるのだろうが、しかし子を欲しがらないという今の世間の流れを見れば、そんな本能など今の我々からはとっくに消え去っている。
生存理由を本能に置かないということは少々危険な香りがするもので、生存している理由を探さねばならんという、いわゆる理由の後付けに心悩ませる人間など星の数ほどいるわけで。悩みすぎると自爆の道へまっしぐら。動生物としての種族保存の本能を失い出生率の低下を招いている今の人間にとっては永遠のテーマになりうる問題ですな。まあ人間に理性と自我が芽生えた時点でこれは個々人にとっての重要な課題になってるもんだと思うのですが。人間ってすばらしい。
まあここまではよくある話で。
彼の文章内で気になった部分がある。
言いたいことはわかるのだがしかしあえて突っ込ませてもらおう。
己には分からない「生きる意味」。確かにそれはありますな。
我々の「生」の意味というのは内的要因と外的要因を持っているわけですが。と私も思うのですが。
ですから彼がこのように貧困国家の子どもたち(子と限定しているところにも疑問を感じますがまあいいとして)の存在意義を考えるとしても、それは一つの外的要因になりえるのだとは思うのですが。
しかし人間の生きる意味というのはまず第一にその本人の内にあるものであるだろう。というのは私がこうした安穏とした資本主義社会日本国に生まれ育った結果の思考なのだとは思うのだが…要するにこうした考えにはお国柄が大変反映されるもんだからある程度そこらへんは考慮せねばならんとは思うが、ただこれまでの人類史を見ても支配の下には必ず反乱や下克上があるもんで、そこには自己滅殺を望まない人間の心理をはっきりと感じ取れる。
話が逸れたが。
…面倒くさくなってきたので簡潔に私の持った印象を述べよう。
彼の意見から読み取るならば、彼の本文中で語られる貧国の子どもはまるで裕福層(援助可能なだけの経済力を持つ層)の憐憫宣伝レプリカである。オーケーオーケー、言い方が少々過激だが、話は最後まで聞いてくれたまへ。
彼の意見に見られるのは我々強者の論理であり、確かに彼の言う「子ども」は先進国の犠牲者であるという事をしらしめる存在には成り得る、とは思うが、しかし彼らはそれのために生まれてきたわけでは決してないはずだ。あまりに酷い話だ。
彼らには彼らの生活があり、日常がある。
それともこの私の考えこそ強者の理論なのであろうか。
残念なことにわたしは彼らの内心を推し量ることができない。
まあもし私があちら側の人間なら「なんで生きてるか」なんて考える余裕すら持たないと思うが。
喉が渇いたら水を求めるだろう?彼らの毎日はそういうことだ。
生きるしかないのだ。目の前の苦しみから脱却するには。
我々いわゆる現代人にはない発想だ。
生きるために捜し求めるものは理由ではない。我々は満たされすぎてる。
マザーテレサは苦しむ人々を囲いながらいいました。今必要なのは慈善自愛の心ではありません、必要なのはお金です。
つまりそういうことではないのだろうか。
このことばがすべてを物語っていると思うのだが。
批判非難しているのではありませんのさ。
私こういうことやるとものすごく意地の悪いやつだなと思われがちなんですけど。
人の意見読んで聞いて触発されて、自分の考えを述べる。そうしたごく自然のやりとりです。
というかこういうこと書いていちいち言い訳がましいことかかなきゃいけないっつーのもものすごく悲しいのだが。
彼のこの意見て現在を非常によく反映していると思う。いい意味でも悪い意味でも。ここまで純粋に人間のダークな部分をつつくような意見てとても必要なのに滅多にないよね。と一人考えました。
疑問を持たなくなったら終わりなんだよ人間。
なぜ生きていることに理由を求めるのだろう。
よく「君は必要な人間なんだよ、まわりにとって」というようなことを言い合う。それはある意味自己の中に生きる要因を見出せない人間の性の表れだ。
外的要因までに生存理由をのぞむことこそ生存本能なのではなかろうか。
私?
わたしは生きたいから生きてるよ。
毎日たのしいもの。
うまくいってなくてもね。
空に翔け上がるような気分。
posted by belly_elly at 07:13:32
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